2015年11月17日火曜日

支援のしかたについて「悪人正機」





始めに書いておきますが

これは決して
被災者やその身近にいる人達を差別して言ってるわけではありません
その人や場所を尊ぶ人達、心配することをバカにして言ってるわけではありません
祈る事や応援する事を冷めた目で見ているわけではありません










今回のパリで起こったイスラム国のテロ事件
難しい事はわからないので、詳細は省きますが
この事件であらためて思った事です




今年も日本各地で天災等による大きな被害がありました
そして過去にも、2011年の東日本大震災、火山の噴火や台風被害等々
数えだしたらキリがない





なぜ僕らはその状況を“まぁまぁ詳しく”知っているのか?

テレビや新聞等から情報を得て知ることができました
15年前ならテレビや新聞ネットのニュースのみでしかわからなかったことが
SNS等で現地の生の声がもっと身近に聞こえるようになり
現地の様子をまぁまぁ詳しく知るようになりました





そのおかげで良かった事は非常に多いと思う
今何をすべきか、どう手助けをすればいいのか
当事者でなくても協力できることが増えたと思う





その反面、画面に近づきすぎて周りが見えなくなり
あたかも自分が当事者で現地にいるかのように
無意識のうちに錯覚してしまっている事があるんじゃないかと思います





「何かをしてあげなければならない」
という義務感がうまれたり
「今、自分はこんな事をしている場合なのか」
と悩んでしまったり
ネットワークの広さに、つい自分を見失いがちになっているんじゃないか















まず、僕たちがわからなければならないのは



僕たちは何もできない



ということじゃないかと思います










それは当事者に対して言っているのではなく自分のためです
何もできない自分を責めないために
そのことをわからなければならないんじゃないかと思います

なにげなく『便利なツール』として多様しているが
気を病んだり、腹をたてたり様々な悪因になりつつあるのかもしれません










親鸞の言葉で「悪人正機」っていう言葉があります
「悪人こそが阿弥陀さまに救われるんだ」という意味です
吉本隆明は悪人正機を
決して意図的に悪いことをしろって言ってるわけじゃなくて
自分が良かれと思ってやったことも相手にとっては良くない場合もあるし
「『ちょっと悪い事しちゃってるかな』くらいに考えるといいんじゃないか」
というふうに捉えています





人を助けることは良いことだけど
「私はコレをやっているのにナゼあの人はやらないのか」
と腹を立てたり
反対意見が出たせいで、何が正解なのかわからなくなり
自分を見失わないように気をつけないといけません











誰もが、自分の行動は正しいと思って行動していたりいなかったり
その人の行動が本当に良いか悪いかは何を基準にするかによって変わってくる
曖昧な答えしか出ないけど
自分の意見におごらないようにしなければならないな、と思いました

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