2016年12月27日火曜日

2016年に読んだ本

2016年もあとわずか

去年あたりから本を読む姿勢を変えたので
今年は数年前よりも読んだ本の数が少ないです
今年読んだ本は47冊



『面白い本をたくさん読みたい』から
『読書数を伸ばすために読む』に変わってしまい
『面白そうだけど分厚い本』は避けて
『興味ないけどすぐ読めそうな本』を読むようになってしまっていました
それはよろしくないと思い、読みたい本を読むことにしました



ただ問題があります
たしかにピュアな読書としては機能してるんですが
読むのに時間がかかりすぎるのです



分厚い本、上・下に分かれている本を読もうとすると
1ヵ月で2冊も読めない
今読んでいる「魔の山」は並行読みしているせいもあるのですが
2ヵ月以上かかってもまだ上巻の2/3ほどしか読めてません
このあと下巻(800P、なぜか上巻より200Pくらい長い!)が待っていると思うと
魔の山を登り切るのは果てしないと感じます



ビジネス書や最近のベストセラー本は2日もあれば読めるのですが
名作とよばれるものは時間がないと読めません
「戦争と平和」を読んでみたいな~と思っていても
5巻も6巻もある(おそらく)ネチネチした長文を
黙々と読む時間が社会人になると時間がありません
ああいう本は一気に読まないとその中に入っていけなくなります



だからやっぱり学生のうちに読書しないといけないというのは本当だと思います






あまり多く読んでませんが
今年読んだ本の中から特に良かった本をピックアップします





数学する身体」 著:森田真正

「1+1=2」という事を教えるのは学校の「数学」
この中で言われている『数学』とはもっと広く大きい
数学を数字や数式で語るのではなく、人と心で語られた
数学エッセイのような本





方丈記」 著:鴨長明

国語の教科書に出てくるので、題名だけは誰もが知っているはず
サクッと内容をまとめると
「自分仕様の狭い家に住んでる変なおじさんが
 鎌倉時代の京都で起こった出来事を書いた日記」
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」に通ずる『日本建築の良さ』がわかる





熊撃ち」 著:吉村昭

実際に北海道で起こった熊にまつわる事件をもとに
その事件の種になった熊を猟師が撃ちに行く話
ストーリー性をもたせて書かれているとはいえ
山村に住む人々や猟師の心情を思わずにはいられない





ガケ書房の頃」 著:山下賢二

学生の頃、何度か足を運んだ不思議な本屋
白川通りのとある角にある車が突っ込んでいる店「ガケ書房」
その店長だった山下さんがガケ書房を始める前から辞めるに至った経緯
店同様、山下さんも変わった人だった
悪戦苦闘していた日々が綴られている
何かを作ろうともがいている人なら共感できる所が多いはず






「じゃあ、イスラム教って何?」と聞かれて答えられる人は何人いるだろう
「イスラム教の人はテロとか起こして、野蛮で凶悪」と悪いようにしか伝えられない
アメリカ人が凶悪な事件を起こしても「キリスト教徒は野蛮」とは報じられない
何も知らずに語ることの無力さ、無意味さ
とても理解しやすく飲み込みやすい
ただ、映画「最強のふたり」をイスラム教とからめるのは強引だと思った





おろしや国酔夢譚」 著:井上靖

江戸時代、伊勢から江戸へ船で荷物を運ぶ最中に遭難し
8ヵ月後にたどり着いたのはロシアの東の端
そこから1万km以上ある道を行き
日本へ帰してもらうために女帝エカテリーナに交渉しに行く,,,
本当にあった事とは思えない実話
生きて日本に帰るため、グーグルマップもアイフォンもなしで
現地の人の言葉を学び、仲間を失いつつ極寒のロシアを13年も過ごした人の話
壮大すぎて何がなんだか、、、



以上です

2016年12月22日木曜日

2016年のカレンダー

去年に引き続き
今年もカレンダーをかきました



セブンイレブンのネットプリントはまぁなかなか便利なもので
書類や写真などの画像をネットで投稿し
それをダウンロードするためのパスワードさえ知っていれば
全国どこの店舗でもプリントアウトできるのです



ただ、これはあくまでビジネス目的で作られたわけではないので
これを配布した本人にはびた一文入ってきません
なのでただの自慰行為にすぎません



今年は「それぞれの月の数字から始まるお話」をテーマにかいたのですが









地獄







2015年の年末にこの案を思いついて
7か月分くらいはあらかじめ作成できたので、それ以外は

「まぁまだ時間があるから大丈夫だろう」

と気軽に考えていたのですが








地獄







まぁ、それはそれはめんどくさい

誰に頼まれたわけでもないしやめてもいいけど、、、
7月でやめるっていうのも中途半端やし、、、
自分でやりだしたことだから、、、



10月以降は締め切りに追われ
自分で自分の首を絞めることになりました






と、まぁいろいろ大変だったので
このまま2017年をむかえるのもなんなので
12月分をまとめました






1月



1番が大好きな王様は城中の誰よりも1番早く起きて
1番大きな声で1番最初に「おはよう」と叫びます
城の者たちはその声におどろいて飛び起きるのです

1番が大好きな王様は城の中だけでは飽き足らず、
街の誰よりも1番早く起きて1番大きな声で
1番最初に「おはよう」と叫びます
新聞配達人はその声におどろいてすっ転んでしまいます

しかし、そんな王様よりも早起きなやつがいたのです
毎朝、東の山から顔を出す太陽です

あるとき王様は太陽より早く起きて「おはよう」と叫ぼうとしたのですが
空に太陽がのぼっていない朝なんてありません
しかたがないので、王様はまだ薄暗いうちから
太陽が顔を出すのを待っていました。
しばらくして太陽が山から顔を出して
王様よりも早く「おはよう」と言いました

王様はそれよりも大きな声で「おはよう」と2番目に叫びました。





2月




2人はいつもいっしょにいてどこへ行くのもいっしょです
でも彼はいつも遅刻してしまうので、彼女はいつも待ちぼうけ。

そんな時、彼はいつもいろんないいわけを言ってやってきます。

「アリが僕の家を角砂糖と間違えて、巣にもっていっちゃっててさ」とか
「シャツの首の穴がどっかにいっちゃっててさ」とか
「ミミズに靴の履き方を教えてたからさ」とか

それを聞いて彼女はやれやれ、と思いながら
「それは大変だったのね」と言います。

彼はいつもいいわけを言った後、花を彼女に差し出します。
彼女はその花を受け取り、2人でお出かけに行くのです。

2人はいつもいっしょにいて、何をするのもいっしょです。
1つのチョコレートを2人で半分こにして食べます。
彼はいつも大きい方を彼女にあげます。
彼女はいつも最後のひとくちを彼に食べさせてあげるのです。





3月




3つ山にはそれぞれ別の木が植えてあります

1つ目の山には梅の木が植えてありました
まだ冬の寒さが残るころに、ポチポチと赤い花を咲かせて
大勢の人は寒さが和らいでほしいなと思いながら赤い花を眺めます

2つ目の山には桃の木が植えてあります
冬の厳しい寒さが和らいだころに
空気に穴をあけたようにふわふわとした花を咲かせて
大勢の人に冬の終わりを感じさせてくれます

桃の花が咲くと1番目の山から人が去っていきます
1つ目の山は「また来年」とつぶやきます

3つ目の山には桜の木が植えてあります
春のおとずれを知らせるように薄いピンク色の花が咲きます
大勢の人は厚手のコートを脱ぎ明るい色の服に身を包み
お弁当やおかしをもってお花見にでかけます

桜の花が咲くと2つ目の山から人が去っていきます

2つめの山は「また来年」とつぶやきます





4月




四角い窓からやさしい風にのっていろんなものが飛んできます
何かの匂いがふわりと入ってきました

どこかで嗅いだことのある匂いだなぁ。
花のにおいかな?
そういえばあの人はシロツメクサが好きだったなぁ。。。
おっと違う、匂いのはなし。

これはおひさまの匂いかな?
去年の今頃も天気が良くて
みんなでピクニックにでかけたなぁ。。。
おっとっと違う違う、匂いのはなし。

これはちょうちょが飛ぶにおいかな?
暖かい空気につつまれてヒラヒラ舞うちょうちょ。。。
そうそうこんな感じ。
思い出してきたぞ。

すると風に乗り、鳥の鳴き声が聞こえてきました。
その鳥の声のせいで、何の匂いかわからなくなってしまいました。
せっかく思い出せそうだったのに。。。
また風が吹き、ヒラヒラと1枚の花びら舞っていきました。





5月




5羽のツバメが
温かい島の入口までやってきました
3羽はオスで2羽はメスのツバメです

3羽のオスは2羽のメスに惚れられるために
互いに自分のジマンを言い合いました

「ぼくは誰よりも早く虫を捕まえることができるんだ!
 ぼくと結婚すればエサに困ることがないよ!」

「僕は誰よりも巣を作るのが上手なんだ!
 ぼくと結婚すれば立派な巣に住めるよ!」

「ボクは誰よりもキレイなつばさを持っているんだ!
 僕と結婚すればボクそっくりなかわいいかわいいヒナが育つよ!」

あーでもないこーでもないとやかましく言い争いながら飛んでいると
気付いたときには島の反対側まで飛んで来ていました
振り返ると2羽のメスの姿が見当たりません

2羽のメスは島の入口でぺちゃくちゃと楽しくおしゃべりをしていました

「この島にはおいしい虫が多い場所があるのよ!今度行きましょう!」
「いいわね!行きましょ行きましょ」





6月




六畳一間のせまい部屋
外は雨がざーざー降っている

洗濯をしないといけないけど
めんどくさいし
これも全部雨のせい

部屋の片付けをしないといけないけど
腕がだるいし
これも全部雨のせい

どこか遠くへ出かけたいんだけどなぁ
おしゃれをしても濡れちゃうし
これも全部雨のせい

友達から手紙がきてて返事を書かないといけないけど
ハガキをきらしちゃってる
これも全部雨のせい

こうやってせまい部屋で何もしないで
小さな窓から聞こえてくる
車がざーざー水しぶきをあげて走る音を
ただぼーっと聞いたり

窓にしたたる水滴が何かの模様に見えたり
はじめは小さくゆっくり流れていくけど徐々に集まって
大きく早く流れていくのをたどったり

ちょっと外に出ないといけないときカサをさして歩くと
カサの中だけがまるで自分だけの場所になるような感じだとか
少し特別な日にしてくれる
これは全部雨のおかげさ





7月




7つの海を渡るため 船は取りかじズンズン進む
海は凪いでて 波もおだやか
頭の上には渡り鳥 向こうの島をめざし飛ぶ

最初の海であらわれた 山より大きなおばけ蛸
長い手足を振り回し マストをビリリと破り裂いた
スイカみたいな吸盤で 窓をすっぽり抜いてしまう

強い船長 腕を振り上げ
岩より固い 拳で一撃
おばけ蛸を退治した

さすが船長オニより強い
強い船長 料理も得意
おばけ蛸のステーキできた

おなかいっぱいたらふく食べた
おひさまサンサン ウトウト昼寝
船長寝ながらこう思う
次の海では何食べよう





8月







8年間土の中で眠っていたセミが
朝が始まる少し前に土の中から顔を出した

セミは枝につかまりまだふやふやの羽をひろげ
乳白色の体でサンサンと降り注ぐ太陽の光を浴びて
「この世の中はなんて素敵な所なんだろう」
と喜んでミンミンミンミン鳴きました

空を飛び回り頭上に浮かぶ大きな入道雲と
追いかけっこを楽しんでジージージージー鳴きました

でも陽が沈み真っ赤な夕焼けを見ていると
セミはわびしい気持ちになりカナカナカナと鳴きました

陽が落ちてしまうと辺りは真っ暗
お昼の陽気な気持ちも一緒に沈んでしまったかのようです
セミはあまりに哀しいので死んでしまいました

哀しみに暮れながら重い気持ちを引きずってあの世へ行く途中
東の空を眺めるとだんだん明るくなり真っ赤な太陽が顔を出しました

セミは「なんだよ!また出てくるなら早く言ってよ!」と怒りました
また新しい1日が始まります
今日もどこかで元気に鳴くセミの声が聞こえてきます





9月




9つのお団子を作んのにかかる時間は15分
月の上のお団子工場ではあっちゃこっちゃで
コロコロ団子をこねる音がひびいてる

餅つきができるんは全部が一番うまいな2人だけ、俗に言う花形や
相棒が変わったんは3回あった
あるやつは女の尻を追っかけてどっか消えてしもた

今夜は15番目の月が顔を出す日やから月の上はてんやわんやや
ぺったんぱったんモチをついていたら
すぽーん!と杵が手から抜けてどっかに飛んでってしもた
「やってもた!取りに行かな!」
相棒が「おい!早よ帰ってこいよ!夜がくんぞ!」と叫ぶのと同時に
ぴょーん!と地球に飛び降りて杵を探しに行った

道を歩く2人をみつけ、杵の行方を聞いたら
「僕はこっちの谷から飛んできたのを見たよ」
「私はあっちの山へ飛んでいくのを見たわ」
お礼を言ってあっちの山へひょいひょい登っていったら
けったいな形のカシの木があるだけで、杵はどこにも見当たらへん

カシの木をよく見てみたら自分の名前が書いてあった
杵から芽が生えてカシの木になってしもたらしい
いつの間にかとっぷり暗くなってしもて
カシの木のてっぺんからまんまるのお月さんが顔を出してた





10月




10匹のミノムシはみんな性格が違います

水色のマフラーを巻いているミノムシは寒がり
もっと寒がりなミノムシは黄緑色のセーターを着てポカポカ

早く成虫になりたいミノムシもいれば
ずーっとこうやってぶら下がっていたいミノムシいます

キレイ好きなミノムシはキレイな枝を探しては定期的に交換しています
1番早く起きたミノムシは日が暮れるとすぐ寝てしまいます
1番遅くまで起きているミノムシは陽が昇ってもまだぐうぐう寝ています

夜になくフクロウの声を聞くのが好きなミノムシは本を読むのも好き
話を聞くのが好きなミノムシは渡り鳥に遠くの国の話を聞きます
おしゃべりが好きなミノムシは木に集まる他の虫たちとペラペラ冗談ばかり話しています

10匹のミノムシはみんな同じ木にぶらさがっています
みんな同じどんぐりのぼうしをかぶっています





11月




11人乗りのバスで遠くの町まででかけます
11人のうち1人は運転手
のこりの10人は楽しくおしゃべり

バスは3つの山を越えてズンズン進みます
バスは力強くどんな坂道もグングン登って行きます。

山を越えるとそこには知らない町の知らない家やお店が建ち並びます
知らない駅からたくさの知らない人があふれてきて
みんな自分の家に帰るのか、それとも誰かに会いにいくのかもしれません

それを見ながら10人はあれやこれ話します
「あの人の晩ご飯はカレーだろうね。」
「あそこのパン屋の名物はクリームパンかな。」
「あそこの学校には何人くらい生徒がいるのかな?」
「あの子がはいてるクツ、私もはいているわ。」

10人が知らない町は運転手が住む町です。
もうしばらくすると運転手の家が見えてきます
運転手は自分の家を通る時
10人に気づかれないくらいの大きさでクラクションを「プ」と鳴らしました。





12月




12時の鐘の音がなると「おやすみ」の声がやみ
今日1日の出来事や 久しく会っていない友達の事を考えながら
みんな布団に入り 眠りの世界へ溶けていきます

夢の管理人はみんなが寝静まってから仕事が始まります
夢の管理人の仕事はみんなの夢を回収することです
使い古したハサミで夢をちょん切って袋に詰めていきます

夢をほおっておくと世界中が夢だらけになってしまい
みんながぼんやりしてしまうので
みんなが朝目覚めるまでに素早く回収しなければなりません

ただ、ハサミの切れ味がよくないので
夢のしっぽまでちゃんと切れてない事が多々あります

そして管理人は仕事が遅いので
町内を一周し終えるころには朝がやってきます
何人かの人は夢のしっぽがついたまま
モニャモニャと朝を迎えるのです

もうすぐあちこちで「おはよう」の声が聞こえてきます
まもなく朝です



2016年12月12日月曜日

いしいしんじさんと私

僕は本を読むけど、小説はあんまり読みません
存命する好きな作家は村上春樹といしいしんじ
新刊がでれば意識して買って読みます



“いしいしんじ”との出会いは7年前のことでした
初めて入った小さなバー
店員さん一人、カウンターだけの店
店員さんがスタンダードブックストアで働いていたというので
何か面白い作家はいないかと聞くと
「村上春樹が好きなら“いしいしんじ”は面白いかも」
と勧められ翌日さっそくスタンダードブックストアで「ぶらんこ乗り」と「うなぎのダンス」を買いました

「ぶらんこ乗り」は童話のような、現実と空想が混ざりあう話でスルスル読めて
「うなぎのダンス」はいしいしんじという人のブクブクはじける頭の中を覗いたようなエッセイで
両極端な2冊でいしいしんじにどっぷりハマり、他の著書もむさぼるように読みました

ただ、教えてくれた店員さんに「とても面白かったです!」
と感想を伝えようと、2週間後に再び店に行くと
店は閉店して教えてくれた店員さんとは会えなくなってしまいました





その後、「いしいしんじのごはん日記」という
いしいさんの毎日の生活を読めるHPで色んなイベントの事を知り
四条烏丸のcocon烏丸にあったShin-biギャラリーで行われた
「The Beatlsの音楽の作法」
というイベントへ、ただサインをもらいたいがために本を片手に行きました
ビートルズのレコードをいしいしんじと湯浅学さんが
プレスされた国ごとに違う音色や、音の振り方を解説し
それを僕らは5時間くらい聴き続けるという貴重で奇妙なイベント
そこで語るいしいさんの言葉は音を形容して見せてくれる
まるで4人がそこで演奏しているかのように聴こえてくる
いしいさんの文書だけでは見えないところが見えてきて
ますます、いしいさんのトリコになっていきました



その後もいしいさんが出るイベントに何度も足を運び
不思議なお話を聞いたり
そのたびに本にサインをもらったり
家にあるいしいさんの本の半分くらいはサイン入りになってます





ある時、本が好きな上司が

「すみかわ君、いしいしんじさんって知ってる?」

と聞いてきたので
知ってるどころか、サイン本をもってるしよければ貸しますよ?
と偉そうに返事をすると
その上司は面白い話をしてくれました





  この前の休みに奥さんと近くのスーパーへ車で買い物にでかけたんや
  駐車場に車を停めたら3~4才の子供が

  『つーしーぶいや~!』

  って叫びながら近寄ってきたんや
  (上司は2CVというシトロエンの50年くらい前のクラシックカーに乗っています)

  『よう知ってるな~、買い物終わった後で乗せたろか』

  って約束して買い物終わってから乗せてあげたら
  クラッチ踏んでギアかえたり、よう知ってるんや
  その後にその子の親御さんが

  「ありがとうございます。実は今度こういうイベントがあるので
  ご都合がよろしければお越しください。」

  ってメールもらってんけど
  そのメールくれた人がいしいしんじさんやってん











絶句



いしいさんの住んでる場所はなんとなく知っていたけど
まさか身近に出会う人がいたとは、、、
羨ましいというより驚きの方が勝っていました
それと共に


もしかしたらいしいさんとより近づけるかもしれない


と期待もしていました




しかしそれからいしいさんに近づく機会もなく
あれやこれや代理店長をしたり、お酒を飲んだり過ごしていると
何度かお世話になっているあしやつくる場を担当しているTさんから



「今度のあしやつくる場にいしいしんじさんが来てくれることになりました」




と連絡が







、、、おっ?







「小さなお話を書いてもらってその場に来てくれたお客さんに配ろうと思うんですが」









おっ?








「その冊子の装丁をすみかわさんにお願いしようかと思ってるのですがどうでしょう?」











おおおぉぉ!!!




とうとういしいさんに近づける機会がやってきた!
装丁なんてしたことないけど
面白い依頼は断らない
四の五を言わず即承諾






話の内容は直前までわからないから
即興でできるように考えていたのですが
待つこと1~2ヶ月、、、まだ来ない
あしやつくる場はもう1週間後にせまってきており

あれはなかったことになったのかなぁ、、、



と考えていた頃にTさんから





「やっと届きました!」



と連絡がきた




製本などの時間を考えると2日くらいで装丁しないといけない
もう迷ったり悩んだりしてる時間はない
「とじてん」とかコーヒーの淹れ方ZINEとか作っててよかった
今、あの意味があるかどうかわからない経験が生きた




無事、修正する日を確保しつつ完成
つくる場でみなさんに配ることができました












無事完成したので祝杯をあげました
いしいさんとも少し話せたし良かったです










会いたいと思う人がいたとき
ずーーー、、っと会いたいと思っていれば
必ず会えるんだとわかった

そのためにはどんなに小さなチャンスでも見逃さないこと
その、どこかにつながるきっかけは
今も自分のまわりに散らばってるかもしれない





2016年6月3日金曜日

ほくろ




わたしの右目の下には泣きぼくろがある



わたしは自分のほくろが嫌い
みんなジーっとほくろを見て言う
「泣きぼくろがある人は色っぽくていいね」
わたしにはそんなところみじんもない
ガサツだし、洗濯物でパンツも靴下も丸めたままいれてしまう




そしてみんなの見る目がきらい
目と目が合っているように見えて合ってないから
わたしの奥の裏側をみられているようで気持ち悪い
わたしのピントがボケたように感じるから嫌い





初めて会った人は必ず二言目にはほくろの話になってしまう
わたしはいつも「そうですか、」と空気のような返事しかしないようにしている


2016年5月24日火曜日

路地の裏にも3年







みなさんコーヒーはお好きですか?
僕は好きです。
近頃、一人で消化するには多すぎるほど豆を買いすぎたので日に2度コーヒーを淹れてます。








小学生くらいの頃、親がコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを飲んでいました。
ペーパーをセットして粉と水をいれスイッチを押す。
その作業が面白くてよくやらせてもらっていました。
「ずずずずずー、ゴポゴポ、ポタポタポタ」
といいながらサーバーにコーヒーが溜まっていくのを眺めることが大好きでした。



中学生の頃「大人っぽいことしたい」と思ってインスタントコーヒーを飲み始めました。
初めはクリープと砂糖を入れて甘くしたものを飲んで
それに慣れてくると砂糖だけをいれて
中学校を卒業するころにはブラックコーヒーが飲めるようになりました



コーヒーメーカーの味に慣れたころ
しばらくして自分でもハンドドリップで淹れてみようと思い
見よう見まねでハンドドリップをやり始めました
初めて自分で淹れたコーヒーの味を今でも忘れることはありません、、、
と、わざわざ書くくらいだから、普通ならそうなのかもしれませんが
全く覚えていませんし、そもそもいつからハンドドリップを始めたかなんて覚えていません
まぁ、たぶん10年くらい前から淹れてるかと思います








自分が淹れていた味がおいしかったどうかは覚えてませんが
ここ3年くらいで、自分が淹れるコーヒーの味に自信を持てるようになりました
それは3年前に出会った店のおかげです






3年前の今日、2013年5月24日
大阪の中心から少しはずれた路地裏に小さな喫茶店ができました
自家焙煎珈琲 喫茶 路地です
この店でコーヒーについていろんなことを教えてもらいました
色んなコーヒーの種類、味、深み、(ほんとうの)酸味
路地のおかげで、というよりも、路地のせいで舌が肥えてしまい
今まで飲めてたコーヒーが「あれ、、、おいしくない。」と思うようになってしまいました







ありがたいことに、何度か一緒にイベントに参加したり企画したり
はたまた代理店長をやらせてもらったり親しくさせてもらっています
ただ、自分はお客さんなのかなんなのかわかりにくくなる時がありました
代理店長などをやっている自分の立場が曖昧になってしまってました
店に行くときはいつもコソコソをしています




個人的にカフェとかバーで店員が常連さんばっかりとずーっとベタベタ喋ってるのは
時と場合を選ばないとあんまり良くないんじゃないかなと思ってました
特に路地ではあんまりそういう風にはしたくないなと思いました




路地にはざっくりいうとコーヒーしかありません
お客さんはコーヒー飲みにきてる人達ばかりなのです
一度行ったことがある人ならなんとなくわかると思いますが
お尻から根が生えたようにぼーっとする事ができる場所です
気づいたら30分はすぎてしまってます
大正時代の建物なので店に入ると時空が歪んでしまうのだと思います



喫茶店やバーで支払うのは飲み物の値段ではなく非日常な空間に入る入場料なんです
ディズニーランドやUSJと一緒でアトラクションの代わりにコーヒーやお酒があるのです
そんな中で店長とぺちゃくちゃおしゃべりするとどうでしょう?
せっかく歪んでいた非日常の空間が元の日常に戻ってしまいます
それを僕は壊したくないのでいつもコソコソを店に行くのです






3年間お店を続けるのは大変だと聞きます
ありきたりですが「もう3年!」とも「まだ3年?」とも感じます
コソコソと路地に通い3年、
ずっと変わらないようにみえるけど、何かが変わったようにも見えます



“石の上にも三年” “路地の裏でも三年”



「もう10年!」「まだ20年?」と思えるようになってほしい場所です。
3周年おめでとうございます。



2016年5月17日火曜日

ウォーホルとバンクシー、そして円空

ポップアートの王様アンディ・ウォーホル
イギリスのストリートアーティストバンクシー
二人とも多少の技術をようするけど
比較的むずかしくない技法で表現しています





ウォーホルといえばシルクスクリーンを使って
キャンベルスープやマリリンモンロー、エルビス・プレスリー等
ウォーホルが「イイね!」と思ったものを題材に作品を作っています





一方バンクシーはステンシルを使いスプレーで壁に描いたり
作品自体に社会風刺的なメッセージをもたせています
そして顔やプロフィールを公表しないでゲリラ的に街に作品を作って活動しています











ウォーホルの作品もバンクシーの作品も誰でも似たものを作る事ができます
「絵を模写する」といったレベルのものじゃなく
型さえ作ってしまえば一目で見分けることが困難なほど似た作品を作れます




現存してるアーティストの贋作を完璧に作れたら
その人は大金持ちになれるかもしれないし
作風をパクられたアーティストは憤慨するでしょう
でも、この二人の作品をいくら完璧に作れたとしても意味はあるのでしょうか?



ウォーホルの代表作である「flowers」は色んなパターンで何十枚(何百枚?)も刷られています
そのなかでウォーホルが自分で刷ってないものは何枚あるでしょう?
そしてウォーホルが刷ってなかったとして、そこにどんな意味があるでしょう?
ウォーホル自身も「コピーを作ってもらって楽だからいい」という風な事を言っています



バンクシーにしたってそうかもしれません
同じ作品を自国だけじゃなく、世界中の壁にかかれていたらどうでしょう
そもそも誰も本人の顔を知らないのだからそれが模倣品であるかどうかはわかりません
コレクターにとっては本人の者だと価値がありますが
それ以外の人にとってはただのラクガキにしかなりません
ただ、そこに含まれるメッセージはコピーではなく本物と何もかわりません



ウォーホル、バンクシーの2人の作品に少しでも関わってしまった途端に
2人の渦中の中に引き込まれてしまっているのです
2人の作品に共通するのは

・誰でもできる方法で
・作品に特徴はあれどそのムラはなく大量生産できて
・作品の技法に価値があるのではなく、そのコンセプト・メッセージに価値がある

ということ










そこでふと思ったのが「円空の仏像も同じなのでは?」ということです



円空とは江戸時代の仏師で生涯に12万体の仏像を彫ったと言われています
粗いコケシのような木彫りの仏像ですが
北は北海道から南は三重まで、各地に存在するその仏像は
全てとても穏やかな笑みを浮かべています







鉈でけずったような粗い仏像なので
ちょっとした技術があれば誰でもどこでも作る事ができます
一目で誰が作ったかわかる特徴のある仏像で
その捉えどころさえ押さえればすぐに彫ることができます



いくらなんでも一人の人間が12万体もの仏像を彫ることができるでしょうか
ずーっと同じ場所にいるならまだしもいろんな場所に存在します
例えば1日10体彫れたとして毎日休まず彫り続けたとしても32年かかります
円空本人が一人で12万体全部彫ったと考えるより
見分けのつかない贋作がたんさんあると考えた方が納得がいきます



そして例え贋作であろうと仏像であるということには変わりません
昔は仏像拝む対象であり難しい経典を読むことができない人のために作られたものなのです
いわば仏像は仏の教えを具現化したものなのです
円空が彫っていようがいまいが、その教えの意味はかわりません
もしそれが本当だとして円空は怒るでしょうか
むしろ自分の意志が仏をとおして多くの人に広まっている事に喜んでいるのではないでしょうか






この3人の行っていることが
「作品を通しメッセージを発信している」
ということだとするなら3人ともに共通していることなんじゃないでしょうか

この考えが本当であったとしても3人とも何も思わないし何も変わらないでしょうね



2016年4月26日火曜日

皆様に愛され続けて30年




2016年4月21日をもちまして20代を卒業致しました。
20代さんには大変お世話になりました。
2016年4月22日で晴れて30代の仲間入りさせていただきました。
もう立派なおっさんになりつつあります。
おっさんの第二ボタンくらいまで閉めたところです。



30歳、犬で言えば1歳くらい?
地球で言えばまだ原始人すら出てきてないでしょうね。
やっとこさプランクトンが誕生する準備が整ったくらい?
レベル30だとしたらリザードンにすらなってない
人としても、それ以外にしても“まだまだ”だということなんだと思います。









30歳になって思うのが「もう若者ではないな」ということ。
「いくつ?」と聞かれて「30歳です。」と答える自分を想像してみたら、そう思いました。
“大人の定義・境界線”というのがなんとなくもわかりませんが、
やっぱり20歳よりも大人になっていると思います。
落ち着いたというか、やわらかく考えられるようになったところもあったりします。






理想の自分ははっきり思い浮かびません。
「奥田民生みたいになりたい。」
「所ジョージみたいな生活したい。」
と思ったりもしましたが、あの人たちはあの人たちなりにああなるために
相当な努力と覚悟が必要で、色々犠牲にしているんだろうとわかってきました。



そしてその時々によって良しとする部分が変わっていくから
決められませんし、決める必要もないと思います
ただ「こうはなりたくない」と言うのはなんとなく決まりました。





「ヘラヘラしてて、頼りないやつだな」と思われてもいいから
笑っている時に目が笑ってないような人になりたくないです






24時間テレビに出てる、すぐ泣くおじさんを見て思いました。
常に人を疑って、損得勘定で動き、腹の中は真っ黒けっけ
そんな風になって、得るものがあったとしても、
それが一生遊んで暮らせる地位になれる事だとしても、
そうはなりたくありません。



お箸の持ち方のようなもので
どんな持ち方でも食べられることは食べられるんだけど
キチンとした持ち方をしないと、なんか、良くないような、、、
はっきり言葉に表せないけど、なんか、良くない、、、





今のところ、素直で正直な人になりたいなと思います。


2016年3月28日月曜日

ホタルイカに呼ばれて富山




7時10分発のサンダーバードに乗っておにぎりをほおばる
大阪から2時間半くらいで北陸新幹線開通1周年に沸く金沢に到着
でも目的地は金沢ではなく、その1歳になったばかりの線路をたどり
向かう先は金沢のもう少し先にある富山県





それまで仕事があるか怪しかったから躊躇していたけど
1週間前に3連休が確保できることになったので
急きょ切符を買い、宿を予約しました
旅の目的は「ホタルイカを食べるため」
スネ夫が言うようなとてもシンプルな理由です

雑誌・ネットを駆使すれば知らない土地でも
どこに何があるのかだいたいわかる
でも、それには常に“だいたい”と“たぶん”がつきまとう
「この店は“だいたい”5千円くらい」
「ここは“たぶん”おもしろい」
ガイドブックは万人のために作られているけど
それが必ず楽しいと思えるとは限らない
“だいたい”“たぶん”楽しめるとしか言えないと思う






10時すぎに富山に到着し、ひとまず鱒ずしとワンカップを買って一杯やる
さて、1つ目の目的地である桂樹舎へ向かうため時刻表に目をやると



次の電車は12時33分



朝ベロしてる場合じゃなかった、、、






しょうがないのでとりあえずD&DEPARTMENT TOYAMAへ向かう
そしたらそこに桂樹舎の製品が売っていた
なんや、半分目的達成してしまったやん、桂樹舎へ行くか迷う、、、
とりあえず電車の時間まで、隈研吾が建てたガラス美術館でも見に行こうか
富山の町をぶらぶらし、適当に曲がった道に良さ気な店があった
店主が自分の足と目で探してきた鋳物や陶器をあつかう林ショップ
やわらかい人柄の店主さんに富山のことを聞き民俗民芸村を教えてもらう






桂樹舎とガラス美術館はもうなかったことにして
富山駅に戻りバスで民俗民芸村へ向かう
民俗資料館、陶芸館、売薬資料館、土人形館、茶室等が点在する場所で
古い家屋の中に民芸品等が展示されている
そして、近くに五百羅漢がいるお寺が!
行きたかったライブのチケットを譲ってもらった気持ち
民芸ブームがきてるので土人形館ははずせません
鯛乗童子、とら、天狗、土鈴、、、
右へ左へ目が移ったあげく、犬とひょうたんをつれて帰ることにしました
ほくほくしながらバスに飛び乗ります






富山から新幹線で10分ほど、富山の西側にある高岡へ
教えてもらった高岡の幻の日本酒「勝駒」をかいに酒蔵をめざします

高岡は藤子不二雄(F,A両氏)の故郷なので駅前にはドラえもんの銅像があります
声が変わる前のアニメのフォルムでつくられているので馴染みのある顔をしています
しずかちゃんの顔がだいぶキマってました、おくすりを飲んでいるんでしょうか

高岡は鋳物の街で古い街並みが残っています
外壁に銅が貼られていたり独特の造りで建てられているのは素敵なのですが
人の気配がない、全くない
小雨も降りだし、この何とも言えない感じにゾクゾクしました

肝心の勝駒へ着くころには雨もきつくなってきました
あいかわらず店の付近に人の気配がないので
なんかヤだなーヤだなー変だなー変だなー
と思って近づくと、閉まってたんですよ、店が





雨に降られ行ったのに、お酒は買えず、傘がないのでしっとり濡れたのですが
気を取り直し、今日のお宿であるゲストハウス「ほんまちの家」に向かいます

ここは古い民家を改装して宿目的だけでなく町会の場所としても使われている
いろんな人が集う場所として使われているようで宿泊客以外の人とも会いました

そこの管理人のお兄さんに勝駒が飲める「たかまさ」という居酒屋を教えてもらい
荷物を置いてすたこらさっさと向かいました





店に入るとカウンターがおじさんたちで埋まっていました
ようやくおいしいお酒が飲めると思ったのに店の人に予約でっぱいだと言われてしまい
とぼとぼと店をでてどうしようかと悩んでいると
店の中から古田新太に似たほろ酔いのおじさんが出てきて
「あと15分で出るから入り!」と
急に富山がいい場所に思えてきました





勝駒を飲み念願のホタルイカや旬なものを食べ
口鼓がぽんぽんぽんぽん鳴りやみません
隣に座った40代くらいのご夫婦と話がはずみます
旦那さんの思いつきで、この日の朝に勝駒を飲むために横浜から来られたそう
おいしいお酒を教えてもらい楽しいひと時
そろそろ出ますと席を立つと
「せっかくだからごちそうさせて」と
なんども遠慮したのですが
「けっこうお金もってるから大丈夫!」と

富山はいい場所なんだと確信しました






とてもいい気持ちで宿の近くの銭湯へ向かいます
熱めのお湯につかり、風呂上がりに瓶のバヤリースを飲もうとお金を出すと
番台のおばちゃんが
「ほんまちの家に泊まる方?サービスしてるからお代はいいですよ」と

富山はとてもいい場所です間違いありません

ほんまちの家に戻ると管理人さんのお友達?がいらしてた
ここでもビールをごちそうになっておしゃべり、富山の方言が心地よい
富山の空気にふわふわ酔いながら布団にもぐる






ぶちぬかれた天井から洩れる朝日にゆらゆらと起こされる
準備をすませてほんまちの家を離れる
近くの喫茶店でモーニング、テレビから春のセンバツの声援が聞こえる

二日目は計画通りの観光
高岡大仏を眺め、高岡古城公園の細長い動物園へ
藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーで小学生の頃の自分と出会い
瑞龍寺でトイレの神様であるうすさま明王にシビれる











あらかじめ調べておいた場所も面白いのだけれど
そこはどうしても、切り取り線でパリっと切られたようにその一面しか見えない
その地の人に教えてもらった場所の方がトロリと濃く
端っこがなく他の何かに繋がっていく



帰りのサンダーバードに乗ってウトウトしながら思った


2016年2月21日日曜日

ふと思ったこと

右も左も知らずに知った風を装って
ヤイヤイ言うのではなくて



どっちか自分の選んだ方の意見を知って
自分の意見を持ちヤイヤイ言うのでもなく



右も左も知った上で自分の意見は持たずに
からっぽで
たずねられた時に答える事ができた方が良いですね



ピカソの描く絵とか
リンゴスターが叩くドラムの音とかも
こんな感じなのかもしれませんね