2015年12月31日木曜日

2015年の本




今年ももう終わりです
今年もまぁまぁ本を読みました



約5年前くらいに目標をたてました

「30歳までに本を1000冊読む」

2015年1月の時点で約750冊読みました
来年で30歳、3日で2冊読めば間に合うくらい
そこで僕は考えました

できないことはないけど、読む本を選ばないと無理だろう
150ページくらいの本ならいけるけど、300ページを超えると厳しい
読みたくない本を読んで何になるんだろう



読みたくない本を月に10冊読むよりも
読みたい本を月に1冊読む方が良い
というわけで、目標をきっぱり諦めて
ゆっくり本を読むようになり、今年は61冊読みました



その中で特に良かったモノをピックアップしました




・「世界屠畜紀行」 内澤旬子
屠畜という言葉は日本では忌み嫌われがち
ただ「牛、豚を殺す職業」「生き物を殺すなんてかわいそう」と安易に思われがち
そんな日本の屠畜の現状や世界での屠畜のあり方が書かれている



・「タイコたたきの夢」 ライナー・チムニク
昨年も読んだライナー・チムニク
挿絵が良くて、夢に出てくるほどの一目惚れで買いました
そして今年もたまたま古本屋でみつけたので即買い
挿絵もさることながら内容が非常に良い
サイコロのように転がるお話
同じくライナー・チムニクの「クレーン男」も面白いです



・「いしいしんじの音ぐらし」 いしいしんじ
今年はいしいしんじラッシュの年でした
コレが出た後に2・3冊本が出たので忙しかったです
いしいさんは何かを文章に変換する事がずば抜けている
音楽を聴いてなんとなく感じていることをなんとなく以外の言葉に変換してくれる
この本を読んでいるとレコードで音楽を聴きたくなる



・「けもの道の歩き方」 千松信也
山に入り鹿や猪を罠を仕掛けて狩る猟師さんが書いた本
猟師はただ肉を得るためだけに狩りをしているのではない
鹿が増えるとエサが減る
エサに困った鹿は木の新芽を食べてしまう
新芽を食べられてしまうと木が育たない
木がなくなると根を張っていた地面が弱くなり土砂崩れが起こりやすくなる
猟師はただただ肉を狩るためだけではなく山を守るためにも働いている




・「ノートルダム・ド・パリ」 ヴィクトル・ユゴー
「ノートルダムの鐘」としてディズニー映画にもなったのに
なぜか復刻されなくて仕方なく初めてKindleを使い読んだ“本”
「この中には色んな小説に出てくる人が全部詰まっている」と人から聞いていて
どうしても手元に置きたくて電子書籍に手を染めました
文字に起こさず人の感情を表している
読み終えてスッキリするのではなく余韻が残る
名著なのになぜ復刻しないのだろうか、、、




・「海の本屋のはなし」 平野義昌
今はなき神戸の海文堂書店の店員さんが書いた
海文堂の記憶と記録が書かれた本
以前のブログに書いたのでよければそちらをご参照ください





来年も面白い本を読みたいです
そしていつかは1000冊読み終えたいです

2015年12月24日木曜日

2つのお話「男の中の男の話」

近頃はあんまり聞かなくなってきたけど
やれ肉食系だ草食系だと言われたり
頼もしい男性がいなくなっていると
男子の軟弱化を嘆く人達がいるけれど



僕はそれはちょっと違うと思っています
紀元前からかわっていないはず





昔っから男子は弱い





おはなし風にするとこんな感じ

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男の人と女の人はずっと違う所に住んでました
男の人は森のそばに住み、女の人は原っぱに住んでいました
男の人が住む森は木々がうっそうと茂って向こう側が見えません
とても深く暗い、なんとなく寂しそうな森でした





あるとき女の人が男の森に近づいて
森の入口に立っている男の人にたずねました


「その森の奥には何があるの?」


男の人は答えました


「この森の奥には“男の中の男”がいるんだ
 その人はとても偉くて僕らはいろいろ教えてもらってるんだ
 どんなに恐ろしい化け物が出てきても
 その人を見たとたん震えあがって逃げてしまうよ
 そして、君たち女は決してこの森に入ってはいけないよ
 その人は女の人にとてもきびしいからね
 怒鳴られるだけじゃすまないよ
 間違って女の人がこの森に入らないように僕らは見張ってるんだよ」


女の人は男の人に逆らわず答えました


「ふうん、そうなのね、
 あなた達が私たち女のことを守ってくれているのね
 わかったわ、私たちは森の中に入らないわ」





そう教えられた女の人たちは、男の人の忠告を守り
森の中には入らず原っぱで暮らしていました

長い間、お互いの領域を守りあい
大きな騒動もおこることもありませんでした





しかし、最近になってその約束事を不審に思う女の人が増えてきました

「まだ誰も“例の男の人”を見たという人に会ったこともない
 そんな人、本当にいるのかしら」

疑り深い女の人は男の人が見張っている森の入口のわきに隙間をみつけ
約束をやぶりとうとう森の中へ入ってしまったのです





女の人は深くて怖い森だと思って恐る恐る進んでいきます
しばらく歩くと明るい光が見えてきました
目を細めながら近づくとそこは反対側の出口でした



そこに広がる景色をみた女の人は驚きました
そこには大きな池が広がっていて
その池で釣りをしたり、池のほとりで昼寝をしたり
葉っぱの舟を浮かべて遊んでいたりする男の人がたくさんいました
男の中の男と呼べるような人はどこにも見当たりません
とてものどかな景色で、みんなぐうたら遊んでいます



「なによ!男の中の男だなんて全部嘘っぱちだったんだわ!
 誰もいやしないじゃない!
 それどころかみんなふにゃふにゃ遊んでるだけで
 みんな役立たずばっかりよ!」


それを知った女の人は原っぱに戻り
周りの若い女の人にその事実を伝えました


「なにが男の中の男よ!」

「いい加減なことばっかり言って!」

「これからは私達があの森をのっとるのよ!」


と若い女の人たちは団結し男の森を攻めはじめました



今まで隠していた後ろ盾がなくなった男の人たちは大慌て
いろいろ言い訳をしてもかないません
かといって暴力をふるうわけにもいかず
男の人たちは森の隅へ追いやられ
半数以上が原っぱにほうりだされてしまいました



若い女の人は原っぱに住む一番年寄りの女の人に
勇み足で報告しにいきました
報告をうけた一番年寄りの女の人は深くため息をつき言いました




「何も知らないふりをしてあげておいたら良かったのに、、、」




・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  

そして同時にこんな事もあったんだと思います

・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  




女の人は子供を産む
生き物にとってそれ以上に必要なことがあるだろうか



あるとき男の人達は集まり会議を始めました

「女の人ってすごない」
「オレらの立場なくない」
「これはどーにかせんとアカン、、、」



男の人達は知恵を絞りだし
ある仕組みを考えました
そしてそのことを女の人達に伝えにいきました



「え~あなた達はとてもすばらしく貴重な存在です
 そんなあなた達を、私達男性が守らなければなりません
 効率よく活動するためにある仕組みを作りました
 あなた達には負担をかけないようにします
 これであなた達の安全は保障されるのです」



それを聞いた女の人達はぽかーんと口をあけて

「男の人達がまた何かよくわからないことを言いだしたわ」

と思いました



女の人達は

「はぁ、そうですか
 生活が楽になるのであればお願いしますわ

と特に相手にせず、軽く返事をしました
返事を聞き男の人達はさっそくその仕組みを動かし始めました





まず男の人達は仕事を明確に分け、それぞれに地位をつけました
体を動かし仕事をする者、それを管理する者を細分化していきました
そしてそれぞれの仕事量に共通の代価を作り当て振りました



男の人達が作ったのは“社会”と呼ばれるものだったのです



時間をかけて徐々に大きくしていき
女の人達も気づかないうちに、ソレは国家となりました
ここまで大きくなると女の人達は口を出したくても出せません

遂には初めの約束もなかったことになってしまったのでした



・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  




という事だと思うのです

男の人はそもそも役に立たず

女の人は男の人の行動に無頓着

単純にいうとこういう事だと思うのです


2015年11月17日火曜日

支援のしかたについて「悪人正機」





始めに書いておきますが

これは決して
被災者やその身近にいる人達を差別して言ってるわけではありません
その人や場所を尊ぶ人達、心配することをバカにして言ってるわけではありません
祈る事や応援する事を冷めた目で見ているわけではありません










今回のパリで起こったイスラム国のテロ事件
難しい事はわからないので、詳細は省きますが
この事件であらためて思った事です




今年も日本各地で天災等による大きな被害がありました
そして過去にも、2011年の東日本大震災、火山の噴火や台風被害等々
数えだしたらキリがない





なぜ僕らはその状況を“まぁまぁ詳しく”知っているのか?

テレビや新聞等から情報を得て知ることができました
15年前ならテレビや新聞ネットのニュースのみでしかわからなかったことが
SNS等で現地の生の声がもっと身近に聞こえるようになり
現地の様子をまぁまぁ詳しく知るようになりました





そのおかげで良かった事は非常に多いと思う
今何をすべきか、どう手助けをすればいいのか
当事者でなくても協力できることが増えたと思う





その反面、画面に近づきすぎて周りが見えなくなり
あたかも自分が当事者で現地にいるかのように
無意識のうちに錯覚してしまっている事があるんじゃないかと思います





「何かをしてあげなければならない」
という義務感がうまれたり
「今、自分はこんな事をしている場合なのか」
と悩んでしまったり
ネットワークの広さに、つい自分を見失いがちになっているんじゃないか















まず、僕たちがわからなければならないのは



僕たちは何もできない



ということじゃないかと思います










それは当事者に対して言っているのではなく自分のためです
何もできない自分を責めないために
そのことをわからなければならないんじゃないかと思います

なにげなく『便利なツール』として多様しているが
気を病んだり、腹をたてたり様々な悪因になりつつあるのかもしれません










親鸞の言葉で「悪人正機」っていう言葉があります
「悪人こそが阿弥陀さまに救われるんだ」という意味です
吉本隆明は悪人正機を
決して意図的に悪いことをしろって言ってるわけじゃなくて
自分が良かれと思ってやったことも相手にとっては良くない場合もあるし
「『ちょっと悪い事しちゃってるかな』くらいに考えるといいんじゃないか」
というふうに捉えています





人を助けることは良いことだけど
「私はコレをやっているのにナゼあの人はやらないのか」
と腹を立てたり
反対意見が出たせいで、何が正解なのかわからなくなり
自分を見失わないように気をつけないといけません











誰もが、自分の行動は正しいと思って行動していたりいなかったり
その人の行動が本当に良いか悪いかは何を基準にするかによって変わってくる
曖昧な答えしか出ないけど
自分の意見におごらないようにしなければならないな、と思いました

2015年11月6日金曜日

約100人の架空映画祭「入道雲」

学生の頃、バイト先のビルの4階に京都シネマという映画館がありました
ちょうどミニシアター系映画が流行り始めた頃に
ちょうど“ぶり”だす年頃な僕は暇さえあればそこへ行き
おしゃれな映画のチラシを探し、コレクションしていました



月に1度はそこで内容もよくわからないのにおしゃれな映画をみて
「ムービックスでやるような映画はちょっと、、、」と
やれゴダールだ、やれキューブリックだ、やれマーティン・スコセッシだ
やれ浅野忠信だ、やれ長瀬正敏だ、やれオダギリジョーだ
と、ぶってぶってぶりつくしていました




1日に5本も観たこともありました
前日にツタヤでDVDを借りて
朝1作観て昼ごはん
昼ごはん食べてから3作観て晩ごはん
晩ごはん食べてから映画館で1作

もう時間の感覚がなくなってきて
観終わった後の余韻をひきずって次のを見るせいで
物語の入口でもうセンチメンタルな気持ちになっていたり
最後に見たイヴ・サンローランのドキュメンタリーは
もう深夜にNHKを観ているような感じで
自分の感情が何もありません

やっぱり映画を楽しみたかったら1日に1作
それを観終わってからお茶でものみながら感想を言い合うのが一番だと思います






長すぎると集中力がなくなるのでよろしくありません

「(、、、なんかお腹へってきたなぁ)」
「(、、、帰ってからアレせんとあかんなぁ)」
「(、、、トイレ行きたくなってきたような気がする)」

と現実に呼び戻されてしまいます

個人的にベストな時間は90~105分
DVDを借りる時、パッケージを見て
どれだけいいキャストでも時間が150分となっていたら
棚に戻したくなります











そんなこともありながら、、、






kof booksellers unionの「約100人の~」シリーズ
今回は「約100人の架空映画祭
各自、自分が考えた架空の映画のチラシを作る
あいかわらず面白い企画
おかげさまで私の架空映画も入選し
大阪~京都~神戸の三都を巡りました





私の架空映画の題名は

「入道雲」





90年代の西武百貨店等のポスターをイメージしました



映画の内容は
入道雲を眺める、3時間
ただただ雲がモクモクと育っていく様を観るだけ
蝉の声が聞こえ


「あぁ。夏だなぁ。。。夏だ。。。夏。。。なつ・・・」


何かストーリーがあるかと思えば何もない
バカバカしくなって帰ろうとする
でも、お金を払って観に来たのに途中で席を立つのもバカバカしい
こうなりゃ最後まで観てみよう

ってな感じで観てしまうのではなかろうか




3時間も何も起こらない映像を見ているとゲシュタルト崩壊していくんじゃなかろうか
3時間も雲や空を見続けると、過去の思い出が甦ってくるんじゃなかろうか
映画自体にはストーリーも演出も何もないけど
観終わった人それぞれにストーリーがうまれるんじゃなかろうか



お金を払って空を見るなんて、タダで誰でも観れるのにと思うけど
初めは水をお金を払って買うことに違和感を感じていたけど
今では何種類もの水がコンビニに売っている
これぐらいしないと雲や空をみる機会がないし、そんな時間の余裕もない
もしかしたら需要はあるかもしれない




と理由をこじつけてみました



多分、現実にあったら誰も観ない映画
でも「架空」とついてるんだから自己満足だけの映画でもいいじゃないか、と
「有言実行」も大切だけど

妄想することをやめるのは大切ではないと思います



2015年10月29日木曜日

あしやつくる場のこと「自転車乗りのフランス人と文豪ウォッチ」

10月17日土曜日

芦屋市立美術博物館で
「ART MARKET あしやつくる場」
快晴の空の下催されました




前回、GWに行われた際には
私は喫茶路地の代理店長としてあしやマダム達にコーヒーを淹れてあげました
今回は残念ながら、諸事情によりコーヒー屋さんとして出店することができませんでした
でも、ひょんなことから、今回再び参加することとなったのです










今回のつくる場のテーマは“食”と“本”
近所のご飯屋さんが出展したり
食にまつわる小物を販売したり
関西で人気の古本屋さんが集まり
“食欲の秋”と“読書の秋”のどちらの欲求も満たす
なんとも秋らしいイベントとなりました



出店された古本屋さんは関西の古本屋好きなら誰もが知っている人気店ばかり
よく行く店と気になっていた店だらけ



今回は出店できないけど、個人的に遊びに行こうと思っていた矢先
とある方からメッセージが







「つくる場で、トンカ書店さんの代理店長をしてくれませんか?」








オーマイガット






なんてこったい






一度はあこがれる本屋の店員

しかも神戸に行くとたいてい足を運ぶ知ってる古本屋さん

「コーヒー屋の代理店長」に次ぐ新たな代理店長の肩書



二つ返事でOKしました








JR元町駅から山側徒歩5分ほど歩いた所にある雑居ビルの2階にあるトンカ書店

関係ないけど、「山側」と神戸の人っぽく言ってみた
普通やと「北へ5分ほど歩いた所」、京都やと「北へ5分ほど上がった所」になる

屋号にもついてるようにザックバランな品揃えの本屋さん
「所狭し」とはこのことというように本が並べられているけれど
キチンとジャンル分けされているので“探すつもりがなかった良い本”がみつかる
今年で開業10周年の皆に好かれているお店
気さくな女性の店主がお一人でやっている
(たま~に旦那さんが店番されていることもあるらしい)

このお店の看板を背負うとなると
当日は気を引き締めてやらないと!



、、、と、まぁ気をいれすぎてもしょうがないので
十分楽しむつもりで参加させていただきました
店主さんにもそう言っていただいたので、ピクニック気分で当日を迎えました





朝8時半頃に阪神芦屋駅に着き
駅からちょっと歩いたところにある「パンタイム」というパン屋さんに寄って
グリーンカレーのハードトーストサンドを買い
モグモグ食べながら芦屋美術館へ向かいました

立派な門構えの家が立ち並ぶ閑静な住宅街
はたしてここはシャンゼリゼ通りかしら?
と思う道でパンを食べながら歩いていると
なんとなく申し訳ない気持ちになってきました

ただパンはとてもおいしかったです



美術館に着き
郵送されてきた本が入っているダンボールの荷をほどき
自分のブース内にテントを立てて
美術館で用意してもらったリンゴの空き箱に本を並べる

芝生に座り、う~んう~んと悩みながら本の並べる
とても楽しい時間

料理の本~絵本~イラスト集~旅の本
と内容がグラデーションするような流れをつくる



  左側に見える「海の本屋のはなし」は
  閉店してしまった海文堂書店の店員さんが書いた本
  とても良い本で題に添えられているとおり記憶と記録が書かれた本
  オススメです◎








いつの間にか隣で横になりくつろぎながら本を選んでいる人がいた
60才くらいの大きな外人さん
「こんにちは」とあいさつすると
本を並べている僕に『それ、とても楽しいでしょう』と笑いかけてくれた
黙々と本を並べている楽しさが伝わったようだ

話を聞くと
昨日フランスから大阪に着き、平野から芦屋まで自転車で来たらしい
日本には32回も来ている
と、とても流暢な日本語で説明してくれた

雑誌「coyote」の旅特集をめくり
そこに載っていたアーティストと以前同じマンションに住んでいと教えてくれた
その本も含め3冊買っていってくれた
別に谷川俊太郎が特集されていたcoyoteもあるよと言ったけどこっちだけでいいそうだ
この人は旅が好きなんだと勝手に決めつけておいた



1番のお客さんが「つくる場」が始まる10時よりも先に来てくれたので幸先が良い
天気もいいし本当にピクニックにきたようだ






昼から店を開けなければならないのに
合い間をぬって来てくれたトンカ書店の店長さん
お知り合いの本屋さんに声をかけ、本を買ったりとても楽しそう

お客さんにも顔見知りなのかどうか判断できないほど
誰にでも気さくに話しかけていた
この人だから10年も続いているんだな、と思った
お店はその店主の人柄を表わしているな、とも





後ろのブースには只本屋さん
京都の東大路五条の町屋を改装して
全国各地にあるフリーペーパーを扱っている不思議な本屋さん
やっていることも面白いけど、それ以上に最近のフリーペーパーのクオリティに関心する
「え?これタダでええのん?」って気を使ってしまうくらいよく作られている
みんな京都の学生さんなのでなんともなじみ深い




通路をはさんだ隣には居留守さん、LVDBさん、FLOKさんの
イケイケな本屋さん達が軒を連ねる

この中でもひときわにぎわっていたのが居留守文庫
なんか電動ドライバーの音が聞こえるな~と思ったら
いつのまにかすごい本棚ができあがっていた
砂糖に群がるアリのように居留守さんの本棚に老若男女が群がっていた





午後からウミネコ楽団さんのライブがあった
アコーディオンとウッドベースの2人組
広場のいたるところで子供たちに囲まれながら演奏する
子供たちが物珍しげにウッドベースの弦をさわりはしゃいでいる
今日の日差しにあったのどかな音楽が美術館の空気に馴染んでいた







こっちから声をかけなくてもお客さんが寄って来てくれる
のんびりできたけど、16時の終了間際までちょうどいいくらいの客入りだった

何かを介して人とお話しするのは面白い
「本」「トンカ書店」を介していろんな人とお話しできた
直接話をしなくても、その人が手に取った本をみるのも面白かった



今日一番の成果は文豪ウォッチが売れた事

以前、新潮社が行っていた100%ORANGEが描いたパンダが目印の「Yonda? CLUB」
新潮文庫の裏表紙についている三角マークを集めて送ると
さまざまな景品と交換できるのキャンペーン
その景品のひとつの文豪ウォッチ
文豪ウォッチは50枚集めないともらえない、つまり50冊読まないければならない
(これを私は2種類持ってます)

日本の文豪が文字盤に載っていて
短針の代わりになっている丸い穴から文豪の顔が見える仕組みだ
例えば12時なら森鴎外が見え、6時なら太宰治が見える
ただ時計としての機能はない
文豪は6人しか載ってないので、中間だと誰かもわからないし何時かもわかりにくい



その文豪ウォッチに何人かの人が興味を示してくれて
いかに使いにくいか等を笑いながら話していると
最後の最後に来てくれたお客さんがありがたいことに買ってくれた

売れたことはもちろん嬉しいけれど
時計のことを話して、むしろ良くない部分しか話していないのに
気に入って買ってくれたことが嬉しかった









あっという間に閉店の時間
トンカ書店は1日だけなので僕の本屋代理店長の仕事も1日だけ
とても充実した1日でした



自分がトンカ書店の棚の隙間に入り込めたようで嬉しかった



2015年10月9日金曜日

「海の本屋のはなし」を読んで

神戸元町にあった海文堂書店
僕は一度も行くことがなかったけど
「海にまつわる本が売っている本屋がある」とだけは知っていた
2013年、閉店するとこが決まった時
僕は何かのニュースでそのことを知った

潰れた後は「あの時、行っとけばよかったな」と思ったけど
「海の本屋のはなし」を読んで
それはちょっと違うかもな、と思った





著者の平野義昌さんは閉店時まで働いていた書店員さん
平野さんが綴る海文堂書店の99年間の流れ

「なんでこんなにいい本屋が潰れたのか」と数字を並べて語るのではなく
開店から閉店までの時間を語り
創業者、それを引き継いだ社員、店に来るお客さん
海文堂書店に関わった人とはどんな人だったのか
そこに店があったから起こった出来事
文章から人の動きが鮮明に見えてきて
読み終えると自分が体験してきたことのように感じた






海文堂書店には数字やマニュアルでは表せない接客があった
売り手と買い手、立場は真逆だけど同じ価値を共有していて
この店に来る人は皆、海文堂書店を必要としていたんだろう

「I LOVE YOU」を「月が綺麗ですね」と夏目漱石が言ったように
ある言葉を何かに例えて言うことができる人はいる
が、その曖昧な気持ちを的確に言える人はいないんじゃないか

皆それぞれ違うが、思うところは同じ
そこにいた人にしかわからない事で
それは皆が気付いてない、些細なことなんだろう






海文堂書店が皆に愛される良い本屋だったのは

働く人が本屋を良くするために働いていたわけではなく
本にまつわる環境を良くしようと働いている人がいたから
結果的に良い本屋になったんだろう


なんでもかんでも「つながり」という言葉を使うのは
語彙力のないところを隠せてないから嫌だけど
海文堂書店は本でつながりを作っていた

「今後、本を買うときはどうすればいいいいんや!」
「どう責任とるんや!」と怒られていたこと
「あなたの作る棚が好き」と言われていたこと
本屋、場所がなくなるということは大変なことだとわかった





自分のお気に入りの本屋、店をつぶさないためにはどうすればいいのだろうか
お店を援助できるほどの財力なんかない
ささやかな援助としてできるのは本を買うこと、通うこと

ありがたいことに僕らは自分で買う店を選ぶことができる
だから、なるべく自分のお気に入りの店で買うようしようと思っている






僕は大阪に来てから本屋によく行くようになった
本屋では多くの事を得る事ができる
文化、流行り、音楽、絵、写真
何のあてもなく来ても得るものが山ほどある

ネットの本屋はとても便利だ
欲しい本がすぐみつかりすぐ買うことができる
買えるものは山ほどある
でも、ネットでは買うことしかできない
ネットを批判ばっかりするのも気が引けるからあまり言いたくないけど

やっぱり本屋で買う方がいいと思う

本屋は買わなくても得るものがある
ただそこに通わなければわからない事が多いから
楽な方に行ってしまうのかもしれない
本屋に行けば欲しいとも思ってなかった本を見つけることができる



それの何が良いのかは僕は知らないけど


2015年9月25日金曜日

京泊

一度もやってなかったこと京都に宿泊

京都音博があるから、という理由で
京都に宿泊してみたかったから

こないだちょっと寄ってみたら良かったので
西陣にあるゲストハウス「月光荘」に泊まってきた





京都は観光名所以外、アクセスが悪い
恵文社、ホホホ座、青おにぎり、
五条モール、梅湯、西富屋
さらさ西陣、世界文庫、船岡温泉
行き方を人に説明するのが難しい

地下鉄は薄情やし、バスもややこしいから
出町柳と四条河原町にある「エムジカ」で自転車を借りるか
歩いて行くかして行ってほしい
だから僕は途中まで地下鉄に乗って
後は歩いてウロウロすることが多い





歩き疲れて、陽も傾きかけた頃
最終目的地である船岡温泉に着いた
ここは銭湯なのに「温泉」と名前がつけられている
でも入ると納得するはず
そんじょそこらの旅館のお風呂より「温泉」風を吹かせている
見事な欄間、天狗の顔が天井から見下ろしている
日替わりで男女風呂が入れ替わる
一方はヒノキの露店風呂、もう一方は岩の露天風呂がある
もちろんサウナもあり、風呂上りに自動販売機で飲めるクラシックラガーが美味しい



泊まるのはその向かいにある「月光荘
沖縄に本店(本宿?)があるゲストハウス
2階がベッドや個室があり、1階は「八雲食堂」でご飯・お酒を楽しめる

安くて、おいしくて、安い、イリチー等の沖縄料理
おつまみだけでなく580円で定食が食べられたり
泡盛、日本酒、焼酎が280円~480円ぐらいで飲める



ここに来るお客さんは宿泊客だけじゃなく
近所のおじさんや観光客
県外からだけでなく、海外から来ているお客さんも多い
座敷とカウンターと立飲み、玄関のベンチでビール飲んでる人もいた



誰が客で、誰が店員なのかわからない

さっきまでキッチンに立っていたお姉さんが
カウンターで細っそいタバコをふかしながらお客さん?と話していたり
ベンチに座って三線を引いていた島人っぽい人がビールを運んできてくれたり
鼻が高く髪はブロンドで目が青い人が「風の森くださーい」と日本酒をぐいぐい飲んでいたり

連休中のせいもあってかとてもにぎわっていた





隣のテーブルにいたのが「風の森」を水のように飲んでいた外人さん
日本語が上手で「しつれいしましたー」と言っていた
フォトグラファーでコンタックスのフィルムコンパクトカメラを持って泥酔した友達を撮っていた
よっぱらいながら上手じゃないギターを弾いてご機嫌だった

今日はここに泊まるのか聞くと
京都駅のホテルまで自転車で帰るのだそうだ
けっこう遠いのに、、、
明日は何をするのか聞くと
二日酔いで寝てると思うって

いい場所にはいい人が集まるなぁ




終電を気にすることもなく
ありあまる時間を持て余しながら
ぶらぶら、ぼーっと観光地じゃない京都を過ごすのはいいなと思った

2015年8月19日水曜日

私のお盆。私のお本。

私のささやかなお盆休みの話です。

まぁ毎年そうなんですが
たいした予定を立てていなかったので
お盆休みは実家でダラダラ過ごすことに決めました






かばんに簡単に荷物をつめ、京阪電車に乗り込みます
淀屋橋から出町柳まで

京阪電車の良いところは電車で2度寝ができることです
ハッと起きても、まだ枚方くらい
もう一度寝て起きても七条あたり
三条あたりで眠気は先に下車
出町柳では冴えたアタマで降りられます



叡山電車側の出口をでるとすぐ隣におにぎり屋さんがあるので
おにぎりを2つ買い、鴨川でお昼にします
風が抜けるので大阪市内に比べ、涼しいです

そこから下鴨神社へ向かいます






この時期に毎年催されている「下鴨納涼古本まつり
今日との古書店が集まり、糺の森が古本の森になります
首にタオルを巻いたおじさん、お金がなさそうな学生、浴衣を着てやってきた若い子たち
老若男女がトンボのように目をぐるぐる動かしながら古書を漁ります

どこかに隠れている自分を求める本の声を聞き逃すまいと
獲物を狙う猟師のように、静かに数万冊ある本の森をさまよい歩きます

「ローマは1日にしてならず」と言いますが、それと同じく
「古本まつりは1日にしてならず」です
この本の森を全部さっと見ても最低でも3時間
じっくり見ようと思えば、とうてい1日では足らないでしょう

最後の方は頭がぼーっとしてきて、半分トランス状態になり
古い書体で書かれたデカルトやカール・マルクスの本に手が伸びそうになります
そういった本達はこうしてみなさんの実家に持ち帰られ
クーラーの効いた涼しい部屋に置かれ
長年「なんでこの本が家にあるんだろう…?」と思われることになるのです

そうやってこの古本まつりは成り立っているのです



去年、この場で良い本と出会えました

2時間半ほど練り歩き、だんだんアタマがぼーっとしだし
「ああ、もう仏教の経典でも買って帰ったろうかしらん、、、」
とトランス状態になりかけていた時
とある本の背表紙が目に入ってきました

「ボブ・ディラン全詩集」

1970年代中ごろに出た本なので「ブロンド・オン・ブロンド」までくらいかな?
英文と和訳の2冊組み、ディランの挿絵つき
見つけた瞬間「 えっ! 」と声が出ました

アマゾンでも買えるけどそれはしたくない、探して見つけたい
見つかったときの喜びは左クリックじゃ味わえない



今年も良い本に出会えないかと、本の森をさまよい歩きました
3時間半ほどねばりましたが良い本には出会えず
まぁ、これも下鴨納涼古本まつりの醍醐味だと思い
実家へ帰ることにしました






私にはずっと探している本があります

「ノートルダムのせむし男」

ディズニーの映画の「ノートルダムの鐘」の原作であり
この前映画にもなった「レ・ミレザブル」の原作者ヴィクトル・ユゴーの著書
友達が絶賛していて、彼曰く
「いろんな本があり、いろんな登場人物がいるけど
 この本には、その全ての人が出てくる。」
のだそうです
この本を読んでから(他に理由はあると思うけど)あまり本を読まなくなったと言っています

そこまで言うなら読んでみたい、手に入れてみたい



「レ・ミレザブル」や「ああ無情」等、他のユゴー作品は
岩波文庫はおろか新潮文庫などでも新訳で出版されているのに
この「ノートルダムのせむし男」だけは復刻さえされていません

アマゾンで買えないこともないし
“読む”だけなら図書館で借りれば読めます



でもそうじゃなくて、売られているのをこの目で見てみたい
なかなかみつからないと言われたら、みつけたくなる
「とうとうみつけてやったぞ!」
と海賊がヨダレを垂らしながら宝箱を開けるようにページをめくりたい
本のありがたみを感じたいのです




なので私は古本屋を巡ります

2015年8月3日月曜日

D.I.Y展示場所「つばめの巣」

こんにちは“つばめの巣”の管理人です



ひとまず終了した展示
「あしやつくる場で
 ミロコマチコさんが
 ワークショップで
 子供達と描いた
 デカい海の絵」展

高さ1.5m×幅12~13mのデカい絵を
狭い長屋の2階に展示していました











最初はこのデカい絵をどうやって飾ろうかと悩みました

「壁に貼り付ける?」

「天井に貼り付けて寝転がって見てもらう?」

「いっそのこと床に置く?」

どれもしっくりきません
やはり共通する問題はデカさ

「重くて貼れない」

「照明を隠してしまう」

「一部しか見せられない」

展示の期間も決まり、ずーっと悩んでいるわけにもいかないけど
いい展示方法が思い浮かばない、、、
こちとらド素人の管理人、展示なんざしたことねぇやい!
、、、
いつも頭の片隅に「デカい絵」の事があり
何か良い方法はないかと頭を悩ませていました









そんなある日、僕は京都にあるギャラリー「nowaki」に行きました
別の用事でそこに行き、ちょうどオーナーの方とお話しできたので
ここは先人の知恵を借りようと「どうしたらいいですかね?」と聞いてみると

「屏風のように展示するか、巻物のように展示してみてはどうでしょう?」

「屏風型にすると自立するし収納も便利
 巻物型にすると見せたい部分・大きさで見せられる」


ギャラリーの床にはデカいクジラのウロコだらけ
僕の目からボロボロボロボロこぼれ落ちて行きました

さすがプロ!
すぐに良い答えを教えてもらえました!

屏風を作っている時間もなかったし
保存する予定はなかったので
巻物型で展示することに決めました






そうと決まれば、さっそく材料を買い込み工作開始

絵の裏地にマスキングテープを張り付け
そのマスキングテープの上から両面テープを貼り
絵のサイズに合わせて作った紙筒を
両サイドに貼り付けます

直接絵に両面テープを貼らずに、マスキングテープを下地に使うことで
紙筒から剥がす時に、絵を傷ませずに剥がすことができるのです
(これは芦屋美術館のタカシマさんに教えてもらいました)

両サイドの紙筒だけでは自立せず、真ん中の部分がダレてしまうので
数か所天井から吊り
部屋をL字型に囲うようにして

無事設営完了







常に在廊できなかったので何人のお客さんが来てくれたのかわからないけど
机に置いておいた「お客さまノート」に数名書き込んでくれていたので
0人ではなかったので一安心







「お客さまノート」には

『感想、アドバイス、リクエスト、つぶやき、
グチ、秘密のおまじない、etc
何でも好きなことを書いてください』

と書いてあるのですが
みなさんきちんと絵の感想を書いてくれている
在廊している間(顔見知りの方に2人ほどしか会えなかったけど…)に
それに対してお返事を書いたのでまた読んでみてください






7/17~7/31までの展示を終え
翌日の8/1にクロージングイベントをしました





その目的は、デカい絵を切り刻むこと





もちろんミロコさんには許可を得て、絵をハサミでチョキチョキチョキチョキ
来てくれたお客さんに好きな部分を好きな大きさで切ってもらいました







ハサミをいれると、なんだか悪いことをしているような感じがして気持ちがイイ
しっかりした紙なので、薄すぎず、厚すぎず切りごたえもイイ
僕は管理人の特権としてクジラの目をいただくことに
切っても大きい絵だったので掛け軸にでもしようかと思案しています












最初の展示はなかなか思うようにいかないことだらけでしたが
コツコツを地道に管理人活動をがんばろうと思うのでよろしくお願いします



何か展示に使いたかったり、おもしろい企画があればぜひお声かけください~


2015年6月9日火曜日

混沌とした日曜日「混沌花粉マミレ音楽祭 @旧グッゲンハイム邸」




6月7日(日)
うっすらと雲がかかった日曜日

塩屋へ向かう電車に乗って外を眺めると、見覚えのある景色が続いている
4年ほど前に神戸マラソンで走ったコース
垂水のアウトレットまで続く海岸線
ビルに囲まれた街を抜けたとき、海が見えて景色が広がってるのが気持ちよかったけど
復路でそこを通るともうその景色には飽きてる、ただただ続く細い道。。。
ちょっと思い出にひたりながら、塩屋駅で下車





今日は旧グッゲンハイム邸でのイベント「混沌花粉マミレ音楽祭
あしやつくる場」でおせわになったタカシマさんから誘われて参加することに

今回はコーヒー屋は封印
前日までコーヒーセット持って行こうか迷ってたけど
持って行くと何故か2泊3日くらいの大荷物になるのでやめました


じゃあ何をしよう。。。


何を売るのではなく、物じゃないモノを出店したいな
と考え、思いついたのが

「話を聞く屋さん」

よく人から「なんかよく聞いてくれる」とか「話しやすい」と言われるから
図に乗って「話を聞くこと」を売ろうと思いつきました
ただ話を聞くだけで特にアドバイスはしません
「はぁ~」 「ほぉ~」 「へぇ~」
とあいづちを打つだけ
なので今回は遊び道具だけ持っていきました





塩屋駅で降りるとたまたまタカシマさんたちと合流
タカシマさんともう一人はFさん(この書き方やと星新一みたい)


本がいっぱい詰まったトランクをガタゴト言わせてうろつく



F氏が今日の店長
「はひふへ本 貸し本とほにゃらら」
とりあえず1冊100円で売り、もし次に会ったら本を返してもらい100円もキャッシュバックする
という古本屋と貸本屋の両方を兼ね備えたハイブリッドなお店
ほにゃらら担当がタカシマさんと僕

タカシマさんは押し花で作るぼたん屋さん
今日のために摘んだお花をせっせと押し花にして
その花を子供でも簡単に作れるボタンキットでオリジナルぼたん作ってもらうお店

貸本屋とぼたん屋と話を聞く屋
混沌としてて良いなと思いました





合流すると、とりあえず塩屋をブラブラすることに
駅の近くのカレー屋さん「ワンダカレー」からいい匂いが、、、
匂いに釣られて店内へ




僕は豆腐カレーとビール(中)
豆腐のまろやかさにトロトロ
満腹になったしビールも飲めたから今日はもういいかなぁ
と思いながらグッゲンハイム邸をめざします





つくる場でつくったMASAGONさんのかぶりもの(重い)をかぶって
カンカン鳴り響く踏切に挟まれそうになりながら階段を上がっていく

すっかりパーティ会場になってるグッ邸



受付でかぶりものを褒められながら「はひふへ本」の場所へ向かう
店づくりはひとまずおいといて
ビールを買って中でやっているライブを見に行く
京都のバンド「マイマイズ」途中から入ったから3・4曲くらいしか聴けてないけど
最後の「くずのうた」がめちゃくちゃかっこ良かった

音楽とお酒はなんて相性がいいんでしょうね







さてと、とボチボチ店を始めることに
「かんたんにつくれる!」と書かれた本棚を苦戦しながら組立てて、本を並べる

3人のカバンをごちゃごちゃと広げると店っぽくなってきた


看板用に「ぼたんや」と墨で書く





F氏の本は僕好みの本がいっぱい
みうらじゅんの「カスハガ」
中島らも・いしいしんじ「その辺の問題」
小林聡美「散歩」
etc...etc...
「これおもしろいよね!」
「こっちもいい!」
「アレも!コレも!」
と、盛り上がっているとそれに釣られたように人がちょろちょろ来て
1冊100円という破格のせいか、ぽんぽん本が嫁入りしていく
僕も面白そうなのを2冊ばかりキープしておく







ぼたんやさんにもお客さまがきた
紫色の綺麗な花を使ってオトナ色のぼたんを作っていた
僕がぼたんを作るときもアドバイスしてくれた





僕の方にもお客さんが
タロットカードをもって行ってたから占ってあげた
今年前半がイマイチやったらしく、後半を占ってほしいとのこと
素人タロット占い師の僕が、荒井良二のイラストのタロットカードで
教本(説明書)を片手に占ってあげた





お店もぼちぼちやりながらおしゃべりしたり
カードゲームをしたりダラダラ


アタマ使う系のカードゲームをほろ酔いで遊ぶ


ゲームに負けたF氏におごってもらったおでん
Spectatorの上で食べるおでんは絶品






ゲームで遊んでたら真ん中の広場から音楽が聞こえてきたので
音のなる方へテクテク歩いて行くと
花のお面を付けた人が花を活けている





観客の僕たちも花を手渡されて思い思いの場所に花を活けていく
とても大きなオブジェができた




こういうのは見てるだけじゃなくて、参加できるものの方が楽しいし
恥ずかしがって参加しない人はもったいないと思う
踊る阿呆に、見る阿呆
活ける阿呆に、活けぬ阿呆
同じ阿呆なら活け活けどんどん、、、





この後に怖い話があったり(まだ少し明るかったから怖さ半減)
他にもDJイベントとかが残ってたけど、家が遠い僕らは退散
それでも十分楽しんだ





がっつり出展者として参加するのもいいけど
今回みたいにふんわりと出店して
イベントを楽しむのも悪くないなと思った
初対面の人と話しながらビール飲んで
音楽聞いて変な人に囲まれて
ああ楽しかった


また別の機会にちゃんと話を聞く屋さんやろうかなぁ…

2015年6月1日月曜日

豊崎ピクニックのこと「豆の立ち売り」




近頃、隔週でコーヒー屋さんやってます
「第1・第3日曜日はコーヒー屋」みたいな風潮
決して僕はコーヒー屋ではないはずです
おそらく、、、






さてさて

暑くなったり、台風が来たり、ホンマに5月かいっ!?
っていうくらい春っぽさがない5月17日(日)
中津にある豊崎神社で豊崎ピクニックが開かれました




通常は「豊崎朝採りマーケット」として
毎週第3日曜日に新鮮な野菜を売っている朝市なんですが
今回はバージョンアップ企画として
大阪市北区周辺の店が集まって行うイベント
中津・中崎町周辺の若いお店が集まっていました
そのイベントに喫茶路地が呼ばれました
路地のイベント=代理店長(すみかわてっぺい)
というわけで、路地の代理店長をやってきました







レトロ印刷JAMの裏にある豊崎神社をめざします
開始1時間前でも、出展者たちが大勢いてわいわいにぎわっている



主催者の空庭みよこさんに路地のブースを聞こうとしたら
「みよこさん!」「みよこさん!」とあちこちから呼ばれて
みよこさんはあっちの方へ引っ張られてどこかへ消えていきました
僕をおいて、どこかへ、、、



ざっくりと教えてもらってテントの準備を始めることにします
今回は駅弁売りスタイルなので、こじんまりとしたお店
テーブルもナシ。シートを敷いて正座しながら試飲用のコーヒーを淹れる
野点、千利休な気分



ブレンドをサーバー1杯分淹れてお隣のパン屋さんにふるまう
pao de tsutsu * hidamariさん(天然酵母パンを作ってはる)
「徹夜明けなんでとても嬉しいです」と言ってくれた
菓子パン惣菜パンは作り置きができないから前日に作り
一つ一つを包装・パッケージ付け

、、、大変

僕なんか「仮面ライダー観れへんかったし」ってぼやいてたレベルやのに、、、






なんか全体的にバタバタしてて、いつ始まったのかわかりませんが
即席で作った豆売りのカゴをかついでウロウロし始める
とりあえず朝市の行列がすごい
なんかトラックから野菜が出てきたな、と思ったらあっと言う間に行列がでいていた
その行列の脇を
「コーヒー豆ぇ~コーヒー豆ぇ~新鮮なコーヒー豆はいりませんかぁ~」
と間抜けな声をあげながらウロウロ
行列を待ってる人(かつ、飲んでくれそうな人を狙って)試飲してもらう



カゴをもってうろつくのにちょっと飽きた、休憩するために一旦ブースに戻る
すると野菜を売ってるおばちゃんがやってきて
「豆を売ってるの?
 何があんの?
 挽いてもらえる?
 300gちょうだい
 あとで取りにくるから」
とあっさり買ってくれた
わーいわーい



ただ、いつも気にしてしまう事なのですが
路地としては挽いた豆を売るってのはちょっとアレなんやろなぁ、、、と
コーヒーは鮮度が命です(特に路地の場合はそれをウリにしている)
鮮度が落ちると酸化してしまいます
酸化するとエグ味が強くなってしまうのです
挽いて粉にするとそれが特に顕著に表れるからなのです

これは僕の考えですが「コーヒー酸味が嫌い・苦手」って言う人は
このエグ味を酸味ととらえてるんじゃないかな?って思います
本当の酸味は紅茶とかハーブティーに似た味がします(と感じます)
コーヒーは「体に良い」「体に悪い」と言われるのも酸化してるかどうかだと思う
酸化していないコーヒーは体に良いんだと思う
酸化したコーヒーは体に酸を採りいれることになるから、悪いんだと思う

豆の状態でもベストな味を保てるのは1週間、粉になると3日が限界
新鮮な豆を売りにしてる路地としてはやはり豆のままで買ってもらいたい



でもまぁ、お客さんに好きなように飲んでもらうのが一番なので強制なんてしません





路地(店舗の方)が開店するまでは店長がいてくれたので
僕は早めのお昼ごはんのカレーをモグモグ、うまうま
その間にもぽつぽつと豆が売れてました
店長が帰った後も順調にぽつぽつと売れていきます
その時点で、予想より順調な売れ行きだったので
豆を売るのはほどほどにして油を売りはじめることにしました



(一応)豆販売のカゴを背負ってブラブラうろうろ歩きまわります
レトロ印刷JAMさんはバッジをつくるワークショップやっていたり(ああ楽しそう)
ステージではサルサダンスを踊っていたりするのを眺め(ああ魅惑的)
他のお店の人としゃべったり、トイレの脇にいたビーグル犬と遊んだりしてました







路地のブースの隣の隣のおばちゃんの店では紙芝居をやったり
スーパーボールすくい、水あめ、冷しあめ(僕の好物)
そしてかき氷を売っていた
昔ながらのシャコシャコ言うかき氷器で作った美味しそうなかき氷
暑いせいでかき氷は大人気、昼前には売り切れになっていて
大学生くらいの女の子が「かき氷ください~」って買いにいくと
「もう氷ない!」
ってキレ気味で答えてたのが面白かった
でもしばらくして「かき氷復活した」と聞こえてきた
その瞬間、僕は店をほっぽりだしてかき氷を買いに行きました
イチゴ味
あぁ美味しい
あつがなついぜ









朝から人が絶えずいて

豆を担いで売り歩いているとけっこう買って下さる
歩き売りスタイルけっこういいかも、、、
おかげさまで、多めに用意してたブレンド以外の2種は完売しました





朝からちびっこ達ずっと作っていた“こども神輿”が完成して
ちびっこ子達がわっしょいわっしょいと声をあげながら
2基の小さな神輿をかついで境内をぐるりとねり歩く
神輿を本殿に納めてお祓いをしてもらう
豊崎ピクニックもこれでおしまい





ここの神社がいいなぁって感じたのが
スーパーボールや水鉄砲で遊んでいたり
子供たちがみんな走り回って遊んでいることゲームをしてる子は見かけなかった
みんながみんな豊崎神社の近所に住んでるわけではないと思うけど
ここに集まる人がみんな似たような価値観をもっていて
こういう場所があるっていうことは素敵なことやなぁ




豆を(それと油も)売りながらもコーヒーの試飲と
店の宣伝を兼ねてお客さんと話していると


「『路地』って有名なんやなぁ」


と感じた

「何屋さんなんですか~」
「あっコーヒー屋さんなんですね~」
「どこでお店をされてるんですか~」
「あっ!天六の!」
「あぁ!路地さん!」
「ずっと行こうとしてるんですよ~」
「なかなか行けなくて~」

と言う声をよく聞いた
路地をオープンする前から知っているから
路地の知名度・認知度というのがいまいちピンをこない
なのでこういった声を聞くと
「はっは~ん…路地ってすごいのかなぁ~ん」
って思う





それともう一つよく聞こえたのが


「お兄さんは店員さんなんですか~?」




という声、、、



店員、、、ではないんですけど
代理店長っていうか、、、
え?実際は、、、コーヒー屋さんでもなんでもなくて、、、
はい、自分でもよくわからんのですよ、、、

ホントに自分の肩書がわからなくなってきた今日この頃
はたして僕は何なんやろか。。。




自分でも自分が何者か把握しきれてませんが
何かおもろい事があれば声かけて下さい~