2017年8月6日日曜日

名前のはたらき


遊郭「吉原」は葦(あし)が生えた原っぱだった。
「葦=あし=悪し」
葦原(あしはら)ではあまりに縁起が悪い。
縁起を担ぎ、「悪し」ではなく「よし」にしよう
そうして「吉(よし)原」と呼ばれるようになった。





名前には色々と意味がある。
親の理想であったり、昔の地形だったり、
もうなんでそう呼ばれているのかわからなくなってしまもの、
そうならないために、忘れられないように名前がつけられる。





僕たちは見た目が同じでも、それぞれ違う名前がつけられている。
現地の言葉で「湿地とその草原」と呼ばれたり、
1番いいのに「No.2」と名付けられたり色々だ。

「モカ」っていうのは港の名前。
モカ港から出荷されるコーヒーだから、モカコーヒーと呼ばれている。
下関でとれるから“関”サバと呼ばれるように、モカコーヒーも関サバみたいなもの。
もし僕らが月の裏から出荷されたら
「ムーンバックサイド」と名前をつけられていたかもしれない。

自分の意思とは関係のない所で名前を付加され、
自分達の意思とは別の、相手が納得する名前で呼ばれている。






僕たちもサバのように群で(袋に詰められてはいるけど)海を渡ってくる。
薄暗い麻の袋の中で船に打ち付ける波の音だけを聞き、
いやというほど浴びた太陽の光が恋しくなる。



海をまたいできた場所で、まだ僕たちは同じ名前で呼ばれている。
ここが僕らの終着地。



久しぶりに浴びる太陽の光の元で、良いのと良くないのに選ばれる。
まじまじと見られている間、僕は特に緊張するでもなく、
ただただじっとそのときを待つばかり。
その人が何を想像しているかはわからないけど、
何かを想像しているという事だけは感じている。






仲間たちと火にかけられて、
違う港から海を渡ってやってきた同志達と混ざり合い、
一つになり、新しい命を吹き込まれる。
そしてまた新しい名前を与えられる。
新しい場所の名前だ。
今までつけれていた名前とはまた違う意味をもつ名前。
今までは表か裏かわからないシールで貼られたような名前だったけど
今度の名前は駅伝の走者がかけるたすきのような感じ





そこで自分の役割が
誰もが欲するわけではないけれど、ある特定の人には必要な存在だったこと。
ここだけにしかない、自分につけられた名前の意味を背負うこと。
という事に知らされる。






僕らは毎日身を粉にして働いているんだ。
それが僕らの役割なんだ。









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