2015年4月15日水曜日

空のこと

禅の言葉でよくでてくる「空(くう)」
般若心経にでてくる「色即是空(しきそくぜくう)」とか
「空」ってなんやろな?
と僕なりに(多分)わかりやすく解釈してみました








僕たちは常に知識を蓄えようとしている
間違わないように
迷わないように
つまずかないように
自分の身を守るため
自分の価値を高めるために
知識を大きく膨らまそうとしている









しかし、そういうものは
ささいな出来事で一瞬のうちに破られてしまう










そうなると
「今までの自分はなんだったのか?」
「全部間違いだったのか?」
「いやいや、そんなハズはない」
と、今までの自分を否定したくないので
破られたものをよせ集めて修復したり
さらに知識を追加して大きくしようとする










しかしまた残念な事に
どれだけ大きく強い考えを作っても
必ず逆の考えはあって
いずれその考えは砕かれてしまう












自分が今まで考えていたこと・得た知識というのは
つまり自分の存在そのもの

自分が今まで考えていたこと・得た知識が砕かれるということは
自分の存在を否定されていることと同じ







じゃあどうすればいいのか
















なにもしなくていい









「空(くう)」というのは「空っぽ」ということ
空っぽでいるということはそもそも容器は必要ない
自分が考えたこと・得た知識を包む容器は必要ない

「空(くう)」というのは「『否定されたこと』を否定しない」ということ
固めて、まとめて保存しておくから壊される
だからはじめからほおっておいたらいい





「空」であるということは「オナラ」のようなもの
プーっとおならをこいたらしばらく臭いがただようけど
いずれ臭わなくなる
でも決してゼロになっているわけじゃない
空気の中にとけ込んで散らばっているだけで
オナラは消えたわけじゃない

オナラを袋にいれて貯めておくと
その袋のなかはずっと臭いはず
その袋が破られてしまうと
オナラが消えてしまうように感じる
でもオナラは周りの空気に溶けこんだだけで消えてない










「空」でいるということは
なにもしなくていい
世の中には自分の知らない考えがやまほどあるから
それから身を守ろうなんて大変
だから否定される考え(鳥)を言われても
「ああ、なるほどなぁそういう考えもあるんだなぁ」
(「ああ、鳥がとんでいるなぁ」)
と思えば良い
自分の考えの中(空)に
新たな考え(鳥)がやってきた
と思えばいい








認識できなくても
どこかで鳥は飛んでいるし
どこかでオナラはにおっている








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